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三秒待てば 17

「ねぇこれ、本当に流星君からもらったんじゃないの?」
「残念ですけど。何度言われても答えは変わりませんよ」
 一度否定したにもかかわらず、渋谷はなおも千景の携帯から目を離さない。それを視界から取り上げるようにストラップごとポケットにしまうと、千景は立ち上がり、シンクの前へと移動した。
「流星君の仕事のことは知ってるんでしょ?」
 その背後から再び向けられる問いに、千景は頭上の吊り戸棚を開けながら、「まぁ一応」とだけ答える。
 流星の仕事のことは、名簿の記載が間違っていると気づいた時に説明を受けていた。
 本人曰く、仕事は雑貨職人とでもいうのか、主にガラスを使った花瓶やフォトフレームなどのデザイン・制作をオーダーメイド中心にやっていて、パソコンやネット環境が貴重だったのは、それに関係するネットショップの管理や、受注に関するデータ、客とのやりとりに使用しているからとのことだった。
 現に、過去に制作し、納品したとういう作品の写真はいくつか見せてもらったことがある。花瓶やフォトフレームの他、先日納品したばかりだと言う結婚式のウェルカムボードは、確かに素人目から見ても見事なものだった。
 しかし、千景が知っているのはそれだけで、千景の部屋を汚さないようにと――或いは集中したいからというのもあったのだろう――別の場所で制作していたという現物を直接見たことはないし、他にどんな物を作っているかも詳しく聞いたことはなかった。
「流星くん、手が空いてるときはアクセサリーなんかの小物も作ってて、駅前の雑貨屋にも置かせてもらってるんだって。それとホントよく似た感じなんだよ」
「そう言われても……」
 だからと言って、そのストラップが流星からのプレゼントであることはあり得ない。
「ここに越してきたときには既についてましたから。それ」
「ついてたって……」
 戸棚から取り出したいくつかの食材を作業台に並べ、フライパンに火をつける。その傍ら、食い下がるように言う渋谷に、千景は淡々と続けた。
「くれたのは姉です。つけたのも姉ですよ。今の携帯に機種変したとき、何もつけてなかったのを見て……。もう一年以上前のことですけど」
「……嘘じゃなさそうだね」
「こんなことで嘘ついてどうするんですか」
「まぁ、そうなんだけどさ」
 そこまで言うと、さすがに渋谷もおとなしくなった。
「ああ、それが最初ここの管理人になる予定だった、千歳さん」
 と、不意に思い出したように早乙女が口を開く。早乙女は頬杖をついたまま、独り言のように言った。
「そういえば、管理人が変更になった理由、聞いてなかったな」
「あ、それ僕も気になってた。連絡も間に合わなかったくらいだし、何か大変な理由でもあったのかなって」
 その話には渋谷も乗ってきた。千景は熱したフライパンにオリーブオイルと乾燥マカロニを入れると、それを揺すりながらため息をついた。
 ようやく妙な誤解が解けたと思ったら、またしても面倒な話になった。それについては最初に話しておかなかった自分のせいでもあるが、改めて訊かれると言葉に迷う。
 今時珍しいとも思えない理由だったが、それでも大きな声で言えることではないという意識もあったからだ。
「別に大変な理由とかじゃないですけど……」
 二人の視線を背中に感じながら、色の変わったマカロニに塩とチーズと振り、軽くなじませてから火を止める。キッチンペーパーを敷いた皿に中身を移し、仕上げに黒胡椒とバジルをかけた。
(まぁでも、いつかは訊かれるだろうと思ってたし……)
 それならこの流れで言う方が楽だろうか。
 考えた末、千景は皿を片手に振り返った。
「単に……」
「すみません! 今帰りました!」
 その時、廊下の方から声がした。続いて、ばたばたと急くような足音が近づいてくる。
 千景は一旦口を閉ざし、早乙女や渋谷と共にその方向を見た。
「こんばんは! 遅くなってすみません、夏海ですっ……」
 急くようにドアを叩かれる。次いで聞こえてきたのは、ひどく恐縮したような、そのくせどこか明るさの滲む声だった。



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2012.10.16