Entry

三秒待てば 15

 ドア越しに廊下の鳩時計が十九時を告げた。――と同時に、コンコンとドアを叩かれる。
(冗談じゃなかったのかよ)
 千景は瞑目して息をつく。軽いノックを繰り返されて、仕方なく重い腰を上げた。ドアを開けると、落としていた視線を気怠げに上げる。
「っ……早乙女さん」
 瞬間、少しだけ目をみはった。
 目の前では早乙女が、半透明のビニール袋を片手に胡散臭そうな笑みを浮かべ、ひらひらと手を振っていた。
「こんばんは」
「……お一人ですか」
「うん、とりあえず。何か問題がある?」
「べ、つに……問題はないですけど」
 率直に問われると、何だかばつが悪いような気分になる。
 実際、顔見知り――それも余り歓迎できない関係の――だと分かったからには、早乙女と二人きりになるのは避けたいと思っていた。それが表情に出てしまったのだろうか。
「問題ないって感じには見えないけど」
「問題ないですよ。ただ他の二人も一緒に来ると思ってたので、少し驚いただけです」
 どこか見透かしたように指摘され、千景は咄嗟に否定した。
 早乙女は目を眇め、喉奥で笑った。明らかに信じて無さそうな態度がまた癪に障る。
(面倒臭い……)
 千景は踵を返し、何も言わずにテーブルの前へと戻った。
「え、入っていいの。入るよ」
 訊ねるように言いながら、勝手に自己完結して部屋に上がり込んでくる。そんな早乙女を一瞥することもなく、千景は畳の上に腰を下ろした。天板に投げていた携帯を手に取り、ディスプレイに目を向ける。
 その視界の端で、早乙女が持っていたビニール袋を持ち上げた。
「とりあえず、これ。冷蔵庫入れとこうか」
 千景は無表情のまま、横目にそれを見た。中身は缶ビールやチューハイ、市販の果実酒などだった。
「適当に入れていい?」
 早乙女の視線が冷蔵庫へと向けられる。その足が一歩踏み出したのを見て、千景は携帯をテーブルに戻し、立ち上がった。
「貸して下さい」
 片手を差し出すと、早乙女は大人しく袋を渡した。
(残りの二人……まだ来ねぇのかよ)
 冷蔵庫のドアを開け、空いているスペースに中身をしまう。言うほど待たされているわけではなかったが、間が持たないせいか思わずにはいられない。
 千景は自然と漏れる溜息を隠さず、テーブルの方へと向き直った。早乙女はすでに座り込み、テーブルに肘をついて寛いでいた。
「アンタの部屋かよ」
 思わず口をついた言葉に、一瞬間ができる。早乙女が吹き出すように破顔した。
「千景って呼んでいい?」
「……は?」
「だから、千景って呼んでいいかって聞いてんの」
 余りにも唐突に、そのくせまるで当たり前みたいにそう言われ、千景は顔を引きつらせた。
「なんでそうなるんだよ」
「別に構わないでしょ。知らない仲でもないんだし」
「こっちはもう忘れたって言っただろ。なれなれしいんだよ」
 切り捨てるように言っても、早乙女は微笑むばかりで態度を変えない。変えないどころか、
「じゃあサクヤって呼ぶよ」
 いっそう迫るように返されて、千景はますます閉口した。
「アンタな……」
 向かい側に座りかけた格好のまま、唖然として早乙女を見る。早乙女はじっと千景の顔を見返して、かと思うと堪えきれなくなったようにくつくつと笑いだした。
「冗談だよ。俺だって面倒ごとは好きじゃないし。適当に距離は置いとくよ。――今までみたいに」
「……本当かよ」
 千景は胡乱げに目を細めた。
 そんな白々しい態度で言われても、信じられるはずがない。
 思いながらも、それ以上何を言うでもなく、千景は黙ってその場に腰を下ろした。早乙女みたいな男を相手に、いちいち遣り合うのも無駄だと察したからだった。



continue...
2012.09.17