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三秒待てば 11

 お世辞にも完璧とは言えない処置ながら、何とか水漏れは止まってくれた。天候が回復しない限り確実に大丈夫とは言えないが、これでしばらくは持つだろうと、千景もようやくほっとした。
 そうしてやっと自室に戻ったはずなのに、
「まさかお昼ご飯までご馳走になれるなんて思ってなかったので、本当に嬉しいです。しかも美味しい!」
 気がつけばいっそう疲れそうな状況に身を置いていて、思わず片手で顔を覆う。目の前では流星が、千景の作ったパスタを千景の部屋で食べていた。
(なんでこんなことに……)
 思うものの、この状況を招いたのは他でもない千景自身だった。
 三十分ほど前、一通りの作業を終えて自室に戻った千景は、ひとまず遅めの昼食のとろうと料理を始めた。できあがった簡単なパスタとスープを座卓に並べ、フォーク片手に何気なく窓の外を見たのがその発端だ。
 雨は止むどころか激しさを取り戻しており、風も一際強くなっていた。それを目にした千景は眉を顰め、思わず「大丈夫かよ」と呟いた。
 もしこれで新たに雨漏りが増えて、流星の言うようにパソコンが濡れたりしたら――。
 単なる杞憂に終わるかも知れないと分かっていても、考えれば考えるほど最悪な事態が頭を過ぎった。ハード的なトラブルに終わればまだいいが、大事なデータが消えたとでも言われたらそれこそ千景の手には負えない。
「ったく、面倒くせぇな……」
 千景は持っていたフォークをテーブルに戻し、おもむろに腰を上げた。気は進まないながらも、付けたままだったエプロンを傍らに投げ捨て、廊下に出ると、
「良かったらパソコンだけでも預かりましょうか」
 一応そう提案してみるために、流星の部屋へと向かった。
「ごちそうさまでした!」
 その結果がこれだった。
 流星は元気に両手を合わせ、ぺこりと丁寧に頭を下げた。
 パソコンだけ預かるつもりが、それでは流星の仕事に支障が出ることが分かり、成り行きで双方受け入れる形となってしまった。もちろん、想定外の出来事だ。
「でも、まさか管理人さんの方からお部屋に誘ってくれるなんて思っていなかったから、ちょっとびっくりしました」
「誘……別に、これも仕事のうちですから」
 答えながら、千景は自分自身にもそう言い聞かせる。
 何度言い聞かせたところで、「余計な気を回すんじゃなかった」という思いはなかなか消えないが、
(まぁ、こうすることが自分の身を守ることにもなるんだし……)
 そんな風に考えることで、無理矢理自分を納得させた。
「本当に料理が上手なんですね」
 昼がまだだと言った流星に、仕方なく作ってやったのは、それこそあり合わせの食材で作った簡単なものだった。にもかかわらず、流星は大げさなほど瞳を輝かせ、食べ終わってからも随分嬉しそうだった。
(やっぱララに似てる……よな)
 その姿に、再び実家の犬のことを思い出した。日頃から苦手としている犬だって、居たら居たで可愛いと思えなくもない。しつこく強請れれば応じてやりたくなるし、突然飛びかかってこられたところで力任せに突き放すことはできない。だから拒絶しきれないのだろうか。
 空になった食器を下げた千景は、習慣のように食後のコーヒーの用意をしながらそんなことを考えていた。
「あの……、管理人さん」
 そこに背後から声がかかる。振り返ると、流星は背筋を伸ばし、
「もしかしてこの机、わざわざ俺のために管理人さんのパソコンをどけてくれたんですか?」
「いえ、パソコンは引っ越しが落ち着いてから買うつもりだったので」
「そうなんですか。それなら良かったです。実を言うと仕事も溜まってきていたので、本当に助かりました」
 平然と首を振る千景に、ほっとしたような表情を見せた。
 流星が自分の部屋から運んできたパソコン一式は、千景の指示に従って窓際のパソコンデスクに置かれていた。和室にあわせて用意していた、床に直接座るタイプのそれには元々何も乗っておらず、流星もそれを気にしていたようだが、事情を知ると早速セッティングに取りかかった。
「ネットも回線工事は済んでますから、必要なら使ってください」
 最後にそう付け加えてから、湯の沸いたドリップポットに視線を戻す。
 その後も流星はたびたび千景の方を見ていたが、千景はそれにろくに応えず、ただドリッパーから落ちる黒い液体をぼんやり眺めているだけだった。



continue...
2012.06.04