それも一つの 14(完)
言われてみれば、彼が今朝電話口で話していたのはそんな話ではなかったか。
その内容からして、確かに俺も一度は、彼には既に長期の予定が入っていたのだと想像をした。
だけどその後の彼の言動が余りにも思いがけなくて、気がつけばすっかり忘れ去っていた。
(そうか、あれはやっぱり勘違いだったわけじゃなくて――)
「ルイ、本当にいいのか?」
「ああ、だって来年になれば嫌でも君はアメリカ(向こう)に戻ってくるんだろ? それなら、せっかくだから今年は日本(こっち)で過ごしたい」
彼が本音を言ったことで、俺も本当のことを言わざるを得なくなった。
まずは勢いに任せて口にした「今日帰る」と言う言葉を取り下げた。そして「予定していたのは同じ十七時でも二日の十七時」と思い切って告げてみると、彼は一瞬面食らったように瞠目した後、しかし呆れるでもなくただ「良かった」と言って笑った。
そしてそんな彼の姿に、改めて俺は「やはり無理だ」と思わされたのだった。諦めるなんてできない。自分の気持ちに嘘はつけない。まだ彼を見ていたい。だから彼の傍から離れるなんて――いまの俺には絶対に無理なのだと。
「俺は別に構わないんだよ。本気で言ったんだ、数日だけど一緒にアメ(向こ)リカ(う)に帰るのもいいって」
「その気持ちだけで十分だ。それより――」
彼が候補にあげた店名を全て却下して、俺は昼食は家でしようと言い出した。
昨夜から今朝にかけ、何度かキッチンに入っていた俺は、彼が買い置きしていた食材を一通り目にしている。予定なら一週間ほど家を空けるつもりだったからか、種類は確かに多いとは言えなかった。とは言え、今日の昼食を用意するだけならやってやれないことはない。それを思い出しての提案だ。
俺の言い分を聞いた彼は、「まぁ別に反対する理由も無い」と、あっさり自宅へと行先を変更してくれた。やがて数時間前に立っていたのと同じ場所――マンションの地下駐車場――に降り立つと、後は昨夜と同じように、連れ立ってエレベーターに乗り込んだ。
「それより? それより――その先は何」
目的の階で再び扉が開くまで、シンとした閉塞感が続く。
何となく続く言葉を言い損ねていた俺に、堪えかねたのか彼は端的に問い返す。
「ああ、うん」
俺は見詰めていたパネルランプから目を逸らした。足元に視線を落とし、瞬きに乗じてその向きを変えては、言いかけた言葉を飲み込む。
そうこうしているうちに、目的の階で扉が開いた。
居た堪れない風に先立って歩き出すと、彼がその後ろに続く。
「ルイ、こら。それよりの続きは何なんだ。気になってしょうがないだろう」
「へぇ、将人でも気になることがあるんだ」
「あのな……」
部屋に入るなりまた急かされて、俺は少し笑った。
力なく返す彼のさまがまた面白い。
「それより……それより、な」
俺は同じ言葉を繰り返した。
いい加減焦らすのもほどほどにしなければと思っていた。
しかし、最初に勢いで言おうとしたのは、今朝の『サヤ』とはどんな関係なんだ? 君の幼馴染だと言う『エイリ』との現在(いま)は? そして何より、『セイ』との縁は――? そんな内容だった。
いまなら訊ける気がしたのだ。この流れなら訊いても可笑しくないだろうと――。
(……やめた)
でも、いざその時になってみると、「まだいいか」と気が変わった。「訊けない」ではなく、「訊かなくてもいいか」と。
もともと将人は、望まれれば出来るだけそれに応えようとする人だ。だからどうしても俺が聞きたいと言えばきっと教えてくれる。それは何も、この状況でなくともそうなのだ。ただ俺の方が、それを乞える心境かどうかの問題だけで。
だけどそれでは意味がない。こう言うことは、他人が強いて言わせることではないのだ。
今日俺をあの場所に連れて行ったことからも、彼もまた彼なりに前に進もうとしているのだと言うことを俺は知った。それなら、またいずれその機会もあるのではないだろうか。彼自身の口から、何気なくそれが話題にのぼる日や、自分から聞いて欲しいと言い出す時期(とき)が。かつて自ら俺に、『セイ』と言う名を告げた瞬間(とき)のように。
(それに……)
加えて、実に自分本位な見解で言えば、せっかくの今日と言う日に、無粋な真似はしたくないと言うこともあった。まったく、そう言う点では俺も実に強かだと思う。
「それより?」
再度せっつくように問われ、俺は僅かな間を持たせて彼を見た。
そして更に勿体つけるように笑ってから、最終的に選んだ言葉の先は。
「今夜もロゼが飲みたいな」