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それも一つの 03

「日本に帰る? まさか……将人(あなた)の家はアメリカ(ここ)にあるのに?」
 最初にそう告げられたとき、正直俺は耳を疑った。
 彼がその直前、酷いスランプを理由にこれから予定していた仕事を全てキャンセルしたことは知っていた。中にはかなり以前から力を入れて準備をしていた大きな舞台の仕事もあったのに、それすら彼は自ら手放していた。終には一年と言う期限付きで休業する羽目になった。
 原因は、彼自身にしか解からない精神的なことだった。しかも彼は、心配した母親にカウンセリングを受けさせられて尚、その話を誰にもしなかった。
 しかしそんな彼も、さすがに共に暮らしていた俺にだけは言わざるを得なくなったのか、やがて覚悟を決めたようにその重い口を開いてくれた。
 引き金はまたも『セイ』に関係することだった。
 それを聞いた俺は、確かに暫く静養することに賛同した。ともすれば率先して勧めるような発言もした。
 でもそれは何も日本に帰ることを促したわけでなく、その時住んでいた場所で――自分本位に言えば俺の傍で――と言う意味だ。
 その方が彼がより休まると思った。もちろん俺も出来る限り協力するつもりだった。はっきりそう話し合ったわけではないが、それが自然の流れだろうと思っていた。
 なのに将人は、
「唯一の親友である君に託す。家賃は今まで通りでいいから、とりあえず家を頼むよ」
 それから数日も経たないうちに、そう言ってあっさり日本に発ってしまった。
 愕然と立ち尽くす俺を、ただ一人アメリカの家(向こう)に残して。
(そのわりにこっちから連絡しないと声も聞けないなんて、親友どころか一介の友人以下じゃないか)
 それでも俺は、最初はただ仕方ないと割り切っていた。
 だが、彼のいない日々が過ぎていくにつれ、だんだんそれだけではすまなくなった。もしかしたら、彼はもう戻ってこないのかもしれない。俺のことなど、すっかり忘れてしまったのかもしれない。考えれば考えるほど、夜も眠れなくなっていた。
 そんな中、本音ではどうしても共に過ごしたいと思っていた日が近づいてきた。
(せめて直接彼の顔が見たい――)
 そうなると矢も盾もたまらず家を飛び出していた。
 その日は既に二日後に迫った十月末日――俺が彼に初めて出会った日だ。贅沢を言えば、その前日の時間も少しで良いから欲しかった。
 以前からずっと思っていたことだった。しかし、いままで俺はそのどちらの日も彼と共に過ごせた試しがない。それこそ、一分一秒たりともだ。
 迎える回数こそ今年で三度目だったが、実際には一年目も去年(二年目)も、その時期彼は仕事で多忙を極めていて、家に帰ってくることすらできなかった。
 かと言って、遅れて祝うほどのことでもなく、そもそも恋人でもないのに言えた義理もない――。ずっとそう思っていた俺だったが、今年は少し考え方を変えた。
 だって今年は彼に時間があるのだ。いままでは仕事なら仕方ないと割り切っていたことも、そうなると話が少々違ってくる。
(別に何の言葉もいらないから――)
 ほんの数時間でもいい。ただ傍にいて共に過ごせるだけの時間が欲しい。
 それはかねてからの俺の切実な願いだった。



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2010.03.18