Entry

夏風 14

「ん……いま、何時……?」
「もう五時。早番も上がる時間だな」
「そか、五時……。……え、五時?」
 顔を離すと、ぴくりと小さく瞼が震え――にも拘らず、なかなか開かなかった双眸が、不意にぱちりと瞬いた。慌てた風に頭を擡げ、そして何かを探すみたいに辺りを見渡す。
 遅れて上体を起こすと掛かっていた布団が落ちて、
「――っわあ!」
 自ら率先して裸体を晒す羽目になった彼は、思いきり間の抜けた声を上げた。
「…ほら」
「あ、ありがと……」
 大方予想通りの反応だったとは言え、込み上げた可笑しさは止まらない。
 俺は昨夜彼が身につけていたシャツと下着を床から拾い上げると、それを手渡しながらどうにか喉奥で笑いを堪えた。
 もたもたとそれを身につけた彼は、今更のように、
「あ、って言うか、お前仕事は?」
「もう一日休むことにした。昼はまだ微妙に熱あったしな」
 微妙と言うのは嘘だった。
 欠勤の連絡を入れるならと一応計って見たところ、悠に八度は越えていたのだから。
 それでもまぁ、しっかり薬が効いたのか、いまはそこまで酷い気分でもない。
「そっか…。……って俺、お前がそんななのにずっと寝っぱなしだったのかよ。しかもお前のベッドで」
「別に構わねえよ」
「いや、どうせ何もしてやれないなら、せめてゆっくりさせてやる方が……」
 そう言うなり、彼はさっさとベッドを降りた。
 そしてその端に座っていた俺の前に立つと、徐に両手を肩にかける。
「な……」
 何をするつもりだと、告げようとした言葉はすぐに途切れた。
 彼がそのまま、俺をベッドに押し倒したからだ。
 俺の上に彼の影が落ち、見上げる眼差しに見下ろす彼の視線を受け止める。
「かわ、は――」
「少しは身体使った方が眠れる、かな」
 しかも、次に彼が落としたのは、何やら物騒にも聞こえるそんな呟き。
 いや、そんな、まさか。
 有り得ない…有り得ないだろういくら何でも。
 大丈夫、絶対そう言う意味じゃない――。
 まるで心底祈るように、俺は思わず目を閉じた。
「……あれ? 誰か来た?」
 が、予想に違わずと言うか、反してと言うか。とにかく彼は、それ以上は何もしてこなかった。
 いや、してこなかったと言うより、できなかったと言うべきか。
 そこで不意にインターホンのチャイムが鳴ったからだ。
 それをきっかけに、彼はピタリと動きを止めた。
「何か宅配とか来る予定あった?」
「いや、別に」
「じゃあとりあえず俺出るから、暮科は寝てろよ」
 俺の返答に、彼は浅く頷くと、まるで最初からそれだけのつもりだったかのように、俺に布団を被せてあっさり部屋を出て行った。
 取り残された俺は、何故だか妙に逸る鼓動を宥めるように、密やかに細い息を吐く。
(そうだよ。アイツの行動に、いちいち深い意味なんてねーんだよ……)
 解っていたつもりなのに、今のは不覚にも少し焦った。
 昨夜寝る直前に、彼としていた会話が知らず尾を引いていたのかもしれない。
 俺は静かに溜息を重ねた。
 まぁ、今更どう言ったって、要はそんなところも含めて全て愛しいと思ってしまうのだから、どうしようも無い。
(本当に……愛しくて堪らない)
 俺はそんな自分に小さく笑うと、一先ずは彼の言葉に従うようにそっと目を閉じた。



continue...
2010.01.22