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夏風 15(完)

 河原が俺に代わって来客の相手をしてくれている間。
 俺は大人しく彼の言いつけを守る形で、ベッドの上で眠る努力をしていた。

 ――が。
「ちょっと。何て顔してんの。もう熱は下がったんでしょ?」
 結局その数分後には、俺は居場所をリビングのソファに移す羽目になっていた。
「お前が来るまでは下がってたよ」
「うわ、どんだけ可愛くないのこの人」
 正面に置かれたガラステーブルの上には、昨夜から何度か目にしていたファミレスアリアの袋がある。
 そのテーブルを囲むようにして、床に直接腰を下ろしたのは、
「熱は下がっても微妙だよ。食欲もまだ戻ってないみたいだし」
 缶ビールを抱えてキッチンから戻ってきた河原と、
「ええ、そう? それにしてはビールは飲めるんだね」
 ちゃっかり自分もそれを受け取っているくせ、さらりとそんな皮肉を言ってのける木崎だった。
 俺は当てつけるように溜息を吐き、
「つーか何でお前まで飲むんだよ。とっとと帰れよ」
 木崎同様、河原の差し出したビールをを受け取りながら、冷ややかに返す。
「だって俺、夕飯自分の分も買って来たもん。ここで一緒に食べるつもりで」
「知るかよ」
「いいじゃん別にー。今日は透君も、ゼミだか何だかの飲み会とかで捕まんないしさぁ」
 が、彼にはそんな態度もまるで通じず、それどころか透――現在の自分の恋人――の話まで持ち出して勝手に拗ねるみたいな表情をする。
 その余りの自然さに一瞬反応が遅れたが、一拍の後、
(いや…そんな当たり前みたいに透の名前を出すなよ)
 思えば呆れて物も言えなかった。
 だって河原は、木崎が透と付き合っていることを知らない。木崎が同性愛者だと言うことは、恐らく知ってしまったのだろうが、その相手が透だなんて、きっと夢にも思っていないだろう。
 透と言うのは、職場のオーナー兼店長の一人息子で、一時期短期のバイト生として店で働いたこともある、河原もばっちり面識のある青年なのだ。
「あー。もう知ってるんだよ、河原」
「は?」
「俺と透君が付き合ってること」
 缶ビールのプルタブに、掛けたばかりの手が止まる。
 相変わらず俺の表情を鋭く読んだのか、木崎は少しばかり視線を泳がせて、
「……キス、してるとこ見られちゃって」
 ぺろりと小さく舌先を覗かせた。
 直前に、「ちょっとトイレ」と言って河原が席を外していなければ、俺は未開封の缶ビールを思い切り投げつけていたかもしれない。
 そうすることで、その言葉を最後まで言わせず、そしてその憎たらしいほどにはにかむ表情を彼に見せないようにしただろう。
「お前……いい加減、時と場所くらい弁えろよ」
「俺はいつだってちゃんと弁えてるよ。今回だって、別に好きで見られたわけじゃないし」
「それが弁えてねーってことだろ」
 俺は呆れた風に視線を落とし、漸く缶の蓋を開けた。
「大体、部屋の鍵だって閉め忘れてんの知ってて黙ってるとか、一体どんな常識だよ」
「それは自分が悪いんでしょ。俺に逆ギレしないでよ。て言うか、そこは寧ろ礼を言って欲しいくらい――」
「あ……?」
 勢い良く返されていた彼の言葉が、急に途切れる。
 視線を上げると、彼は俺を通り越して背後を見遣り、わざとらしいまでの笑顔を浮かべていた。
 そんな木崎の態度の変化に、俺もすぐにはっとする。
 そこに何があるかなんて、振り返るまでも無い。
「ん?」
 誤魔化すように一口缶を煽ると、間も無く視界の端に河原の姿が入る。
 トイレから戻ってきた彼は、まるで邪気の無い笑顔で再びテーブルに着いた。
 そしてマイペースに自分の缶を開け、俺と木崎を交互に見遣りながら、
「あれ、先に食べてて良かったのに」
 笑み混じりに首を傾げる。
「せっかくだから待ってたんだよ、河原のこと。……じゃあまぁ、みんな揃ったことだし、食べよっか」
 返答したのは木崎だった。
 俺は口元に缶を寄せたまま、危うくそれを吹きそうになる。
 河原に聞かれていたかもしれないと思えば、木崎だって多少焦ったのは同じはずなのに、彼のその不自然なまでに自然な対応は一体何なんだ。
(ったく、こいつにだけは勝てる気がしねぇな……)
 諦め半分に数口ビールを嚥下して、俺はどさりと背凭れに身体を預けた。
 目の前では、木崎と河原が和やかに弁当を開いている。
 何だかんだ言って、木崎が三人分の差し入れを持って来たことにはちゃんと感謝していた。口では透の所為だとか何とか言ってはいたが、恐らくはそうじゃなくても差し入れは持って来てくれたのではないかと思う。
 そう言う点においては、一応俺だって信用はしているのだ。絶対に口には出さないが。
「暮科は? 飯食えそう?」
 半ば手持ち無沙汰な心境で、残りのビールを一気に飲み干し、空になった缶をテーブルに置こうとすると、その顔を河原がちらと覗き込んできた。
 俺は視線が絡むなり一瞬動きを止めて、
「まぁ、今朝の残りくらいならとりあえず」
「わー、俺の持って来た物は食べらんないんだ」
 そんなこと言ってないだろ。
 揶揄うように口を挟む木崎にそう返そうとしたが、結局黙殺することにした。
 すると木崎は「無視することないでしょ」と早速抗議の声を上げていたが、それも一様に取り合わない。
 その妙な遣り取りに、河原は声を漏らして笑いながら、
「じゃあ、俺出してくるよ」
 徐に立ち上がると、再びキッチンに向かった。
 食べ残していたクラブサンドは、冷蔵庫に入っている。
 俺は横目にその背を見送って、瞬きに乗じてテーブルに視線を戻す。
 間近の空缶を横に除け、河原の弁当を目にすると、不意に手を伸ばしてサラダ用のミニトマトを摘み上げた。
「河原トマト嫌いだっけ?」
「いや? 好んで食わねぇ程度」
 それを口に放り込み、端的にそう答えると、木崎はどこか含みのある笑顔で「へーえ?」と漏らした。
 思わず、「何だよ」と言い返そうとするが、そこに丁度河原が戻ってくる。
 と、木崎はくるりと視線を転じ、
「何か暮科が三人分、全額払ってくれるらしいよ。それくらい感激したんだってー、俺たちの度重なる心遣いに」
 まるで何かに対する報復とばかりに、満面の笑顔で言い切った。これがメールだったなら、その語尾にはムカつくことこの上ないハートマークが付いていたに違いない。
(急になんだ、一体……)
 事態に微妙に付いて行けず、かと言って「言ってない」とも言えず。俺はただ疲れたようにがっくりと肩を落とした。
 そこにあるのは、やはりいつもと何ら変わらない風景だった。



...end
2010.01.28

木崎さん相変わらず……ということで……。ありがとうございました!感想や拍手などいただけると嬉しいです。
ちなみにここらのネタ4コマが次ページのものでした。