夏風 06
「お前それ……ちゃんと解って言ってンだろうな」
仰向けに寝転がっていた俺の顔を、上から覗き込んでいた彼の腕をそっと掴み、念を押すみたいに問い返す。
まっすぐに見上げる視線も一切逸らしてはやらず、ただ信じられないとばかりに彼を見詰める。
「解ってるつもり……やっと解ったって言うか」
彼は俺の上に影を落としたまま、静かに頷いた。当たり前のように、戸惑いは隠し切れていなかった。
でも、それを認めてくれただけでも、すごい進歩だと思う。
今まで彼は、おそらく男相手に妬いたことなど一度も無かったはずだ。
というか、そもそも危機感というものが欠落していて、果たして彼は本当に俺のことが好きなんだろうかと疑いたくなるほど、俺がいつどこで誰と何をしていようがまるで気にしない風だった。
あんなにも安易に木崎をうちに寄越すのだって、そんな心境の表れだ。
だけどそれが彼の性分と言うのなら、俺はもう割り切るしかないと思っていた。
(それが、これかよ)
河原は依然として真っ直ぐに俺を見下ろしたままだった。
眼差しは未だ微かな当惑を湛え、時折逸らしたいみたいに揺れている。が、それでも完全に視線が離れることはなかった。
言いかけた言葉を飲み込んで、でも結局言わずにはいられないような。
そんな僅かな逡巡の色合いを見せた後。河原は静かに言葉を続けた。
「暮科……将人さんと、ヤったの?」
今度は俺が絶句する番だった。
咄嗟、逃げるように視線を逸らしかけたのも俺の方で。
けれどどうにかそれを堪えて、俺はただ一度緩く瞬くだけに留める。
向けられた面持ちにさほどの感情は窺えないが、その胸中は察するに余りあるような気がした。
(……いつから気にしてたんだよ)
言葉に出来ない問いを心の中でぽつりと呟く。
刹那、締め付けられるように胸が痛んだ。
「……この状況で聞くか、それを」
「この状況じゃなきゃ聞けない」
「その話は、一応前にしただろ。……忘れたのか?」
腕を掴んでいる手はそのままに、他方の手で彼の頬に触れた。
ぱらぱらと降るように掛かる髪を指先に遊ばせながら、辛辣とも取れる言葉を紡ぐその唇を、親指の腹でそっと辿る。
「忘れたわけじゃない。でも、前もそうだったよ。……お前はいつも、そう言う言い方しかしない」
と、河原は控えめながらも、それを振り払うように首を振った。
触れていた手は中空に残され、俺は僅かに目を瞠(みは)る。
「河、原……?」
もしかして、俺の知らないうちに酒を飲んだんだろうか。
思わず視線がサイドテーブルの缶ビールに向くが、当然のようにそれは未開封のままだ。
「おい、ちょ……お前、何かあったのか?」
俺を見下ろす視線が、未だに殆ど逸らされないのもやはり違和感だった。
もともと彼は、気恥ずかしさが先に立つからと言って、相手の目を見ること自体苦手としていたはずなのだ。そしてそれは、俺に限ってさえも完全には克服できていないこと。
なのに彼の双眸は、いつからか不自然なくらいに一点を見詰めて、瞬きすら殆どしなくなっている。
眼差しもどことなく虚ろで、心配になった俺は一度上体を起こそうとした。
――が、何故かそれを河原が許さない。
空いていた手で俺の肩口を押さえつけ、無言のまま緩く首を振る。
「……河原、一旦退け、ちゃんと話聞くから」
促しても、依然として動く気配は無い。
それどころか、
「か…河原っ……?」
次にはぱたりと俺の上にその身を伏せてしまう。
迂闊にも上擦った声を上げ、俺は驚きの余りすぐにその身に触れることも出来なかった。
胸元――と言うより、殆ど首筋に近いところに彼の額が触れている。
重なっているのは互いの上体だけだった。でも、そんな状況自体が余りにも想定外で、俺は動揺の余り二の句が継げない。
妙な沈黙の間が落ちた。
俺は懸命に継ぐべき言葉を探した。
が、結局、
「…木崎が……」
「え……?」
顔を伏せているからか、声が小さすぎるからか。
余りはっきりとは聞こえなかったけど。
「自分も男と寝れるって、言った」
その沈黙を先に破ったのは、河原の方だった。