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夏風 04

「…キスしたい」
 立って並ぶと、然程身長に差は感じない。
 厳密には五センチほど違うのだが、俺の姿勢が悪い所為かほとんど目線は同じだった。
 撫でるようにして耳元に掛かる髪を後ろに流し、そこに小さな囁きを落とす。
「なぁ、嫌とは言わねぇだろ……?」
 刹那、彼の身体が微かに揺れた。
 横目に見遣ると、その視線は泳ぐようにどこともない中空を彷徨っている。
(まだ緊張すんのかよ……)
 解ってはいたが、思わず笑み混じりの呼気が漏れる。
 するとそれに気づいたらしい河原が、少し焦ったように口を開いた。
「嫌…なわけじゃなくて、なんかこう…改めて言われると……」
「わざわざ承諾を得ずにいきなりやれってことか」
 彼の肩口に顔を寄せたまま、冗談を敢えて真顔で続けていると、
「そうじゃない、そうじゃなくて…」
 ややして河原は、他方の手を俺の背中にそっと添えた。
 もう一方の手は、放しそびれたように俺の手首を掴んだままだ。
「実は、俺もちょっと風邪気味でさ。下手に悪化させちゃ悪いと思って、昨日は寄るの止めといたんだけど、今日はもう頭痛もしないから、とりあえず顔だけでも、って……」
「顔だけ? ……へぇ。つか別にその程度で悪化なんてしねェよ」
 言いながら俺は顔を起こし、もうそれ以上は返事も待たずにいきなり彼の唇を塞ぐ。
 刹那目を瞠った彼の表情も意に介すことはなく、重ねた唇を甘く食むように触れ合せ、薄く開いた隙間を舌先でゆっくりなぞる。
 脱力するにつれ、離れかけた彼の手を逆に追いかけて手ずから捉え、耳元に添えていた手は更に後ろへと滑らせて固定するように後頭部を柔らかく掴んだ。
「…っ、ん……」
 鼻から抜ける吐息が熱い。時折響く水音が一際耳に付く。
 戸惑っても逃げない彼の身体を一層引き寄せ密着させて、俺はほとんど唇が触れ合ったままの状態で囁いた。
「いいのかよ。このまま続けて」
 ここまでしておいて何だが、俺だって本音では河原の嫌がることはしたくない。
 風邪のことにしたって、俺が彼から移される分には別に構わないと思っているが、その逆も然りとは思っていない。
「イヤなら、帰れよ。別にそれで怒ったりはしねぇから」
 離れ際、ぺろりと舌先で彼の唇を舐めてから。俺はゆっくり身を離す。
 予想通り彼は思案に暮れていて、その目端は仄かに紅潮していた。
「お前が自分でちゃんと顔見せに来てくれたから。……今夜はそれで許してやるよ」
 後頭部に添えていた手を下ろし、宥めるようにぽんぽんと彼の肩を撫でる。
 するとややして彼は、ゆっくりと俯けていた視線を上げて、
「でも、しばらくゆっくり会ってなかったし……。俺、まだここにいたい」
 再度やり返すみたいに、最早緩く触れ合っていただけの俺の手を、軽く握り返した。



continue...
2009.11.15