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それも一つの 10

 思った以上に急勾配な坂を上ると、間も無く彼の母校である大学の校舎が見えてきた。
「もしかして、夜の方が良かったかなと思ったけど……そうか、今日は土曜日だったね」
 正面近くで一旦スピードを緩めた彼は、周囲をちらと見遣ってから、そのまま更に真っ直ぐ車を走らせた。
 彼の言うように、確かに目に付く学生の姿はほとんど無い。傍らには学生用だろう駐車場も見えるのに、そこにとめられている車も数えるほどしかなかった。
「いつも土曜日はこうなのか……?」
「うーん、昼時だからってこともあるだろうけど……まぁ、学校外で活動してる部活やサークルも少なくないからね。だいたいこんな感じかな」
 記憶を辿るように言って、彼は小さく肩を竦める。
 学校の正面玄関を通り過ぎても、上り坂はまだ続いていた。
「本当に山の上だな」
 土地柄平地が少ないとは言え、予想以上の標高に、俺は思わず独り言ちる。
 するとそれを耳にした将人は僅かに破顔して、
「さぁ、着いたよ」
 ややして辿り着いた高台の脇に、不釣合いに目立つ車をとめた。その先にはささやかな展望台が見える。
「わざわざ展望台(こんなもの)まであるのか」
「俺が通っていた頃には無かったよ。去年だったか……出来たんだって話は聞いていたけど」
 言いながら、先立って彼が車をおりると、その姿を数秒目で追ってから、俺も続いて外に出た。
 展望台とは言っても、それほど立派なものではない。たまたま山頂にあった小さな平地に囲いを作っただけのような、きわめて簡素な作りだ。屋根があるわけでなし、ベンチがあるわけでなし、数段とは言え設置されている階段にも、当然のように手すりすらなかった。
「……ああ、でも」
 そんなささやかな階段をのぼり、将人は真っ直ぐ前へと歩く。その間、一度として俺を振り返ることはない。
 早くも見惚れているのだろうかと、無言でその背を見詰めていると、ややして彼は足を止め、眩しそうに目を細めた。
「うん、やっぱり素晴らしいよ。ほら、早くおいで――ルイ」
 彼は静かに振り返った。しみじみと告げるその顔には、追憶に耽るかのような笑みが滲んでいる。風に靡く髪を抑えながら、他方の手で緩く手招きをする。
「将人……」
 しかし、俺は依然として階段を前にして佇んだままだった。どう言うわけか、それ以上踏み出せなくなっていた。ここに来たいと言ったのは俺なのに、まるで身動きがとれなくなっている。足が地面に張り付いてしまったかのように、前へと進むことも、後へと戻ることもできない。
「ルイ?」
 彼が再度俺を呼ぶ。淡い笑みを口端にひいて、「早く」と急かす風に俺を見る。
(だって、やっぱり――)
 その場所は貴方にとって、これ以上ないくらいに特別な場所で、その隣に寄り添うべきは同じくらい特別な存在でなければならないのではないか。貴方のその領域に踏み込むことが、こんなにも大きなことだとは思わなかった。
 ふと胸に落ちた陰に、ますます俺は動けなくなる。彼の待つその隣に、身を置くことが急に怖くなった。もちろん本音では寄り添いたいのだ。彼が俺の名を呼んでいるのに、それに応じたくないはずがない。
(もう、訊いてしまおう……)
 矛盾と葛藤に苛まれ、挫けそうになる心を必死に奮い立たせた。
 改めて自分から訊くのは辛い。でも、そうすることで少しでも先に進める可能性があるなら、やってみる価値はあるはず――。
 俺は覚悟を決めた。



continue...
2010.04.23