夏風 01
【Side:暮科静】
「夏風邪はバカがひくもんでしょ」
特に冗談でもない口調で、あっさりそう告げたのは、ファミレス(職場)『アリア』の同僚、木崎(きざき)沙耶(さや)だった。
(…わざわざ何の電話をしてきたかと思えば……)
俺は無言で電源ボタンに手をかけた。もちろん電話を切るために。
が、寸前でその手をぴたりと止める。電話口から聞こえる木崎の声に、別の声が重なって聞こえた気がしたからだ。
(河原(かわはら)の声? ……この時間に?)
いつもは仕事を終えるとすぐに帰ってしまう木崎が、早番の終業時刻である十七時を三十分以上過ぎても未だ更衣室にいると言うだけでも珍しいのに、そこに遅番スタッフの、まだ休憩時間でもないはずの河原がいるなんて本当にどう言う状況だ。
俺は一度は浮かせた携帯を再度耳に押し当て、改めて電話の向こうに意識を集中させた。
念のため、傍らにある目覚まし時計を横目で確認してみたが、やはり時刻は十八時前。
普段の木崎なら、とっくに店を出ている時間に違いないし、遅番(河原)が休憩時間を取るにしても早すぎる時間だった。
「……おい、木…」
「あ、河原ならもう仕事に戻ったよ」
「………」
どう訊ねるべきか一瞬迷い、するとその間を読んだかのように木崎が答える。
まだ最後まで告げてもいないのに、その返答は確かに的を射ていて、俺は思わず言葉に詰まった。
だから言葉を選ぼうとしたのに。
思っても、後の祭りだ。
ことこう言う状況において、木崎は驚くほど勘が鋭い。
少なくとも、俺は彼に会うまで、早々他人に本音を読まれたりはしなかった。感情を表に出すのが苦手と言うこともある。が、それは同時に、容易に本心を読まれないという自信にも繋がっていた。
なのにそれも、木崎の前ではどう言うわけか上手くいかない。本当に、怖いくらい的確に。木崎はことあるごとに、俺の心をあっさり見抜いてしまうのだった。
「一体、どう言う……」
用件なんだ。
今更下手な言い訳をしようとも思えず、俺は仕方なく話を本題に戻そうとする。
だがそれすら阻むように木崎は途中で口を挟み、
「とりあえず、帰りに家行くから。それまで寝ないで待っててよ」
「……は? 家?」
「そうだよ、暮科の家。もう店出るから、すぐ着くよ。……あ、迎え来た。じゃあまた後で!」
一方的にそれだけ言うと、そのまま電話を切ってしまった。
俺の返答など一切待たず、ともすれば自分の言葉尻すら途切れるような勢いで。
相変わらずと言えば相変わらずのことだった。木崎らしいと言えば木崎らしい。
かと言ってあっさり諦めることもできず、俺は遅れて耳から離した携帯の画面を胡乱気に見詰めた。
そして深い溜息と共にぽつりと呟く。
「……だから、結局どう言うことだよ」
08/08/24発行同人誌より再録です。