『好きにも色々あるわけで』本文サンプル

 夜はバイトがあるからと、練習が終われば一足先に部室を後にする。そのまま真っ直ぐ駐輪場へと向かう途中、思い出したようにジーンズのポケットから携帯を取り出した。
「不在着信一件……」
 画面を眺めながら履歴を確認すると、そこには『仲矢遼介』と言う名前が残っていた。その名を見るにつけ、無意識に漏れる溜息。そこに新たに一件のメールが届く。同じ仲矢からだった。
「あー、やっぱ連休は無理か」
 我ながら白々しく呟いて、後は返信することもなく携帯を閉じる。
 電話をかけてきたのも同じ用件だったのだろう。メールの内容は、明日入れていた飲みの予定を、延期したいと言うものだった。
 仲矢は小学から高校まで、何をするにも一緒の悪友だったが、高校を卒業してからこっち、その頻度は格段に減っている。大学自体は相変わらず同じだった。しかし、仲矢が在籍している学部と俺の学部とではキャンパス自体が離れており、それも電車移動を要する距離ともなれば、自然と以前のようにつるむことも出来なくなっていた。
 加えて、現在の仲矢には特別な相手がいる。それも永遠に届かないと思っていた、長年の片想いが実っての恋人だ。しかもその経緯は俺も全て知っていて、それどころか最後に仲矢の背中を押したのは俺だったような覚えすらある。結果として二人が上手く行ったことも純粋に嬉しかった。
 なのに時々思い出したかのように溜息が出る。まぁ理由は多分、単に友達が減って寂しいと感じているからだろう。それならそれで、今更どうしようもないのだが。
 ぶつぶつと頭の中でぼやくように思案して、今度は自覚のある溜息を一つ吐いた。手の中の携帯をポケットに戻し、そうすることで意図的に意識を切り替える。そうすれば胸の奥に生じていた微かな澱も、また次第に鳴りを潜めて行くのだ。


 時刻は既に十九時近い。六月ともなればそれなりの明度はあるものの、ゼミで忙しい学生も多いのだろう、ほとんど無いに等しい人気(ひとけ)に対し、混在して置かれた自転車や原付の数は思いのほか多く、俺はその中に埋もれているはずの自分の愛車(バイク)を探して目を凝らした。
「えっと、確かこの辺……」
 呟きながら、記憶を頼りにブロック間の通路を歩く。しかし、なかなか目的の車体は見つからない。
 特に定位置が無いこともあり、自分でとめた場所を忘れてしまうことは時々あったが、それにしてもこうまで探し出せないことがあっただろうか。念の為、隣り合ったブロックも双方見てみたけれど、やはりどう言うわけかその姿は見当たらない。
 まさか盗難――?
 思わず笑えない冗談が頭を過ぎり、俺は空笑いに頬を引き攣らせた。
 と、そこに背後から声が掛けられる。
「君が探してるのはこれじゃないの、加治君?」
 俺は一瞬身を硬くした。ややして振り返ると、そこには一台のバイクに跨った長身の男の影。
「これ、って……」
「これだよ」
 思わず問い返すと、彼は笑って自分の下を指差した。確かにそれは俺のバイクだった。
 ああ、そうだ。そう言えばこのブロックには確かに人がいた。これから帰るところなのだろうと思えば気にも留めていなかったが、その所為でまんまと見落としていたらしい。――って、いまはそんなことよりも。
「……って言うか、何なんですか」
 俺はしばし車体を見詰め、ややして片手で顔を覆った。
「何なんですかって? 単に君を待ってただけだけど」
 いきなり名前を呼ばれたことも判断材料の一つになった。何より、聞けば聞くほど覚えのある声だと気付いた。
「木ノ本さん……アンタね」
 あからさまな溜息を吐き、俺はゆっくり視線を上げる。
「待ってたって……それならもっと早く声をかけるとか、他にも方法はいくらだってあるでしょ」
 顔を覆っていた手で軽く髪をかき上げ、唖然として彼を見た。
 しかし男は、そんな視線すら真っ直ぐに受け止め、まるで悪びれた風もなく微笑(わら)うだけ。
「それはまぁ、そうだけど。このタイミングがベストかなと」
「何がベストですか」
 即答で切り捨てると、後は仕草だけでシートから降りるよう促した。
 彼――木ノ本(きのもと)彰(あきら)は、大学で同じ野球サークルに籍を置く、二つ年上――学年で言うなら今年から院生――の先輩だ。百八十に僅か足りない俺よりも更に高い上背に、すらりと伸びた長い手足。絶えることのない笑みは妙な色気に満ちていて、そのくせ特定の相手を作らないストイックさが彼の人気に拍車をかけている。
 とは言え、それはあくまでも一般論(?)で、俺からしてみれば彼はストイックでもなんでもない。何故なら、
「や、本当はちょっと乗り心地を確かめてみたくなってね。って言っても、本当はバイクより君の――」
「それはもう解かりましたから」
 本来の彼は、こんな風に素面でその手の冗談を口にするのが普通だと知っているからだ。しかもそれを向ける相手は、老若男女問わず気が向くまま。要するに節操無しの軟派男。特定の相手を作ろうとしないのも、そもそもが余計なトラブルを避ける為。
 そりゃ俺も仲矢も遊んでいる時期はあったけど、さすがにここまで手馴れてはいなかった。いい相手に出会えればちゃんと一人に絞っていたし、特定の相手もどちらかと言えば欲しい方だった。基本的には俺も仲矢も、一途で誠実な相手が好みなのだ。恋人にしても、友人にしても。
 更に言えば、木ノ本さんは時間にもルーズなところがある。仮にもずっと体育会系に属していたからか、俺はその点も少し苦手だった。早い話が、俺は木ノ本さんとは根本的に合わないはずなのだ。なのにどう言うわけか、俺は彼を嫌いになれない。それどころか、一緒にいると居心地が良いとさえ感じている節がある。明らかな矛盾がそこにあった。しかし、それもまた真実だ。
 木ノ本さんは大人しくシートを降りた。それを横目に、俺は肩から提げていた斜めがけのカバンを後ろに回し、ヘルメットに手をかける。
「それで、用件は何ですか。何か用があるから待ってたんでしょ」
「さすが、よく解かってるね」
 彼は小さく瞬き、どこか感心する風に肩を竦めた。
「アンタを知ってもう三年目ですから」
 それに俺は皮肉で返す。更にそれを強調するため、わざとらしい笑顔まで作って見せた。
「ああ、そうか。加治君もやっとお酒の飲める年に」
 だがそれもまるで彼には通じなかった。俺は半眼で息を吐き、ひとまず真面目に訂正を入れた。
「今年の誕生日は過ぎたんで二十一ですよ」
「あれ、そうだっけ。それならそれで、ケーキでも買ってお祝いすればよかったな」
「結構です。って言うか、いまはそう言う話をしてんじゃないでしょ」
「はは、いや、そうだった。ごめんごめん」
 懲りずに彼はふわりと微笑む。最早降参するほか術はない。
「とりあえず、俺これからバイトがあるんで、できれば手短にお願いしたいんですけど」
 部室を出た時刻は十九時前だった。居酒屋のバイトの開始時刻は二十時で、それまでに一度家に帰ってシャワーを浴びる必要がある。急かすように言うと、ようやく木ノ本さんは本題に入った。

続きは同人誌『好きにも色々あるわけで』で。