16...きっかけ
【Side:鈴木孝明】
「――鈴木さんは、いつ俺を好きになったの。俺のどこを好きになったんですか」
崎坂くんが僕の真意を測るかのように投げかけてきた台詞に、僕は一瞬息を呑んだ。
うつむいたまましばらく逡巡し、恐る恐る上げた視線の先に崎坂くんがいた。その、どこか冷めたような表情を見て、今、ちゃんとこの質問に答えなければ、崎坂くんは僕の存在すら認めてくれなくなる気がした。そう思ったら気持ちばかりが焦ってしまって、思わず「僕は……」と口に出してから、次の言葉を考えていなかったことに呆然とする。
考えてみれば、崎坂くんのことをいつ好きになったかなんて全然覚えていないし、どこを好きなのか?と問われても、「全て」としか答えようがない。
でも、僕には元々同性嗜好の気があったわけじゃないから。以前は麻衣子のことを本気で好きだったし、だとすれば同性の崎坂くんに惹かれるにはそれなりの根拠があったはずなんだ。
一体いつからだったろう?
気が付けば、いつも目が彼を追うようになっていたのは――。
僕は、一体彼のどこに惹き付けられたんだ?
ふとそこまで考えて、思わず口をついた「あの夏……」という言葉に、僕自身ハッとさせられた。言葉を発した本人でさえ、その支離滅裂な言動に驚いたぐらいだから、眼前で様子を窺っていた崎坂くんにしてみれば更に意味が分からなかっただろう。
「……あの夏?」
途端、訝しげな顔をして、そう問いかけてきた。
だけどそのときには僕の中にはどこか確信めいた思いが溢れていて――。
「さ、崎坂くんには直接関係ないと思うんだけど……」
そう、前置きをして、僕はおずおずと数年前――麻衣子にフラれた年――の、ある夏の日の記憶を探り始めた。
「……で? その、顔も見てない相手と俺とがどう繋がるわけ?」
話し終えると同時に、至極当然の質問を浴びせられる。
そう。あの夏の日――。僕の、麻衣子にフラれてボロボロだった身体は、真夏日の暑さに負けて白昼路上で気を失うという大失態を犯したのだ。
そのとき、僕と同い年周りの男の人が助けてくれて……名前も告げずに立ち去ってしまったらしいと知ったのは、意識を取り戻してからだ。
「に、においが……」
ベッド上で、両親に救急隊員から聞かされたという、僕を助けてくれた人の特徴を聞きながら、僕は失いつつある意識の中で感じた、仄かに香る煙草のにおいを思い出していた。
「におい?」
「そう。……煙草の」
崎坂くんが、初めて図書館で僕の前に立ったとき、ふわりと漂ってきた煙草のにおいが、僕が記憶していたその人のものと重なったから。だから、一瞬、ドキッとしてしまったんだ。
(どうして忘れていたんだろう?)
それは恐らく、僕自身、それを恋心だと認知することが出来なかったからだ。同性相手にそんな感情が芽生えるなんて考え付きもしなかったから。
でも、今ならはっきり分かる。
あれが、僕が崎坂くんを意識するようになったキッカケなんだ。
「けど、そんなの銘柄が同じの吸ってりゃ、誰からだってにおうだろ?」
僕から、煙草のにおいが自分に気持ちを寄せる引き金になったと聞かされても、崎坂くんにはピンと来なかったみたいだ。
睨むように僕を見詰めるその鋭い眼差しに、僕は一瞬ひるみそうになる。
でも、ここで目を逸らしたら……僕は一生後悔することになると思った。
それに、確かに崎坂くんの言う通りなんだ。
「……うん、そうだね。多分、それだけならこれほどまで崎坂くんのこと、気にならなかったと思うんだ」
崎坂くんには、においのほかにもう一点、僕の心を捉えて止まない部分があったから。だから僕はこんなにも彼のことを好きになってしまったんだ。
「何だよ、それ……?」
僕自身、今、そのことに気付いたばかりで……どうしても要領を得ない物言いになってしまう。
そのせいで、崎坂くんを苛立たせてしまって――。
「崎坂くんが……僕と同じように本を好きな人なんだって思ったから」
きっと笑われてしまう。こんなの、僕の思い込みに過ぎない、って。 「僕と同じように」かどうかなんて崎坂くん本人じゃなきゃ分からないことなんだから。
でも、彼が借りて帰った本が、大抵貸したときより綺麗な状態になって返ってくることに、僕は気付いてしまったんだ。
公共の資料だと思うと、途端、ぞんざいに物を扱う人が多い中で、そんな風に本を大切にしてくれる人は正直珍しい。
実は以前、崎坂くんが借りて帰った本を、成田くんが返しに来てくれたことがある。
その本には、派手に折れたページがあって……僕が直そうと思っていた矢先にタッチの差で他の図書館員が崎坂くんに貸し出してしまったのだ。
そのことが凄く気になって、せめて一言、そんな状態で貸し出してしまったことを謝ろうと、その本が返却されるのを今か今かと待っていた僕だったけれど、人生、なかなか思うようにはいかない。結局返却時、カウンターにいたのは麻衣子で、オマケにその本を携えて来たのは崎坂くんではなく、成田くんだった。
麻衣子が、成田くんから「折れたトコあったから直しといたよ」と言われて受け取ったらしい。
そのことで、麻衣子は成田くんのことを凄く褒めていたけれど――今想えば恋心も手伝っていたのかな――、僕はその話を聞いたとき、直したのは成田くんじゃなく、崎坂くんだと思ったんだ。
だって、あの本を借りたのは崎坂くんで、だとすれば読んだのも折れ目に気付いたのも彼のはずなんだから。
成田くんも、「俺が直しといた」とは言わなかったみたいだし、絶対とは言い切れないまでも、少なくとも僕にはそう考えるほうが筋が通る気がした。
破れている箇所や壊れてしまった部分を補修するのは僕たち図書館員の仕事だと思われていても当然なのに、崎坂くんはそうじゃなかった。
それに気付いたとき、僕は一気に彼のことが好きになったんだ。
「ごめん。こんなの、僕の勝手な思い込みだよね」
全てを話し終えて、崎坂くんの表情を見たけれど……依然として彼は険しい顔のまんまだった。
もう、これ以上崎坂くんに言える言葉を持ち合わせていない僕は、途端凄く弱気になった。
だから何だ?と言われればそれまでだし、それぐらいの理由で同性を好きになるなよ、と非難されても最もだから。
それに気付いたら、今まで彼から目を逸らさずにいられたことが不思議なぐらい、僕の気持ちはへこたれてしまった。
「ごめん……」
もう一度、小さな声でそう呟くと、僕は彼からそっと視線を逸らした。
continue...
by 鷹槻れん
- 2008/11/16 (Sun)
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