12...非現実的
【Side:鈴木孝明】
崎坂くんが傍に居ると思うだけで、緊張の余り僕の意識は散漫になる。
(待たせてるんだから急がなくちゃ……)
頭では分かっているのに、視界は紗が掛かったように霞んでしまって……。
そのせいで折角まとめたばかりの資料をばら撒いてしまい、そのことに動揺して焦る僕の胸倉を、いきなり崎坂くんが掴み上げた。
(……っ!)
その瞬間、僕は彼を怒らせてしまったのだと思ってギュッと目を閉じた。
(殴られる!)
無意識でそう思ってしまったからだ。
でも、実際僕を襲ったのは別の感触で。
何が起こったのか分からないままに口中を貪られて、僕の頭はフル回転で現状を把握しようと努力する。
混乱する意識のままに目を開ければ、眼前には崎坂くんの端整な顔が迫っていて……。その距離感に、やっとのことでキスされているんだと気付いた途端、その事実に更に一層頭が混乱した。
余りの事態に戸惑い――正直濃厚なキスが怖くて――僕は再びギュッと目をつぶった。
実際キスなんて、麻衣子とだって数えるほどしかしたことのなかった僕は、完全にパニックに陥ってしまったのだ。
歯列をなぞるように崎坂くんの舌がうごめくたびにどうしたらいいか分からなくて、ただ酸素を求めて顎の力を緩めてしまう。
変に頑なになって崎坂くんを噛んでしまったりしたらと思うと、一度緩めてしまったそれを閉ざすこともままならなくて――。
そうこうしている内にキスはどんどん角度を深くして、そのことにゾクッと背筋を震わせた僕は、足元から立ち上ってくる快感に足がガクガクと震えるのを感じた。
情けないことに、キスひとつで僕は崎坂くんの腕に縋るようにして立つのが精一杯になってしまった。
そんな僕の様子に気付いた崎坂くんがようやく唇を離してくれて、
「もしかして腰が抜けた、とか――?」
そう言ってわずかに目を細めて口角を上げた。
その笑みは、とても酷薄なもので――。
「そ、そんな……ことっ」
ない!と否定したいのに、現状ではどうやっても彼の指摘を覆すことが出来そうにない。そう判断した僕は、未だどちらのものとも分からぬ唾液で濡れたままの唇をグッと噛み締めると、胸倉を掴んだままの崎坂くんを押し退けるようにして身体を離した。
そうしてから、自力で立とうとしてふらつき、不本意ながらカウンターに手を付いて身体を支える羽目になった。
その拍子に、何とか落とさずに持っていた資料が、雪崩れるようにして再び床上に散乱する。
その音に、ビクッと身体を震わせた僕に、
「やっぱり立っていられないんじゃん?」
揶揄するような声と共に再び崎坂くんが距離を詰めてきた。
「え、あ、ちょっと……じょ――」
冗談はやめて。
そう言いたかったのに、浅く腰掛けるようにしていたカウンターを飛び越え、こちら側に降り立った崎坂くんの素早さに驚いた僕は、思わずその言葉を飲み込んだ。
大き過ぎる戸惑いにモタ付いているうちに、背後から覆い被さるようにされて、僕は完全に逃げ道を封じられる。
余りに非現実的な現状に、身動きが取れずパニックに陥った僕は、両腕を一纏めにされてカウンターに押し付けられたことにもすぐには気付けなくて――。
「どうしたの? ひょっとして怖くて声も出せない?」
わざと首筋に唇を寄せて発せられたとしか思えない崎坂くんの声に、僕は反射的に首をすくめるのが精一杯だった。
continue...
by 鷹槻れん
- 2008/09/17 (Wed)
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