09...目的は
【Side:崎坂智也】
夏期休暇に入っても、暇を見つけて図書館には行くつもりでいた。
寝る前に少しずつ読み進めている本も、既に残りページは少なくて、次に借りようと思っていた本もだいたい決まっている。
俺は人に言わせれば見かけに寄らず読書家で、だがそれを自分で認めるのはあまり好まなかった。
理由は簡単だ。そんな風に活字を読むようになったのが、あの人――昔付き合っていた男――の影響だったから。
それを思い出したくないこともあり、例えば趣味はと聞かれても、俺は自分から読書だと答えることはめったになかった。特に、あの人と別れてからは尚更に。
だからと言って、本を読むこと自体は嫌いにはなれず、実際この大学の図書館にはよく世話になっていた。長期休暇でもほぼ毎日開館しているので、毎年暇さえあれば本を物色しに行っていたと言ってもいい。
だけど、今回ばかりはどうしてもそんな気分になれなかった。
あのカフェでの一件があってからこっち、自分で借りていた本の返却すら、成田のついでに頼んだくらいだ。
もう何も考えないと、一度は流したつもりでいたのに。
結局そうして彼を避けてしまうくらいには、知らず引きずっていたようだった。
「埼坂ぁ、お前明日図書館行かねぇ?」
「…予定はねーけど」
「忘れてたけど、一冊返してなかったんだよ。それを昨日、やっと見つけ出してさ」
学生は長期休暇中だが、世間一般では八月の上旬など普通に平日だ。夕方の開店時刻をすぎても、すぐには客の入りの無い店の裏で、俺と成田は乱雑に積まれたゴミの山に囲まれていた。
店内は手が足りているからと、店長に整理するよう頼まれたのだ。
一般ゴミ以外にも、使わなくなった棚や什器、壊れたテーブルや椅子も放置されている。
通りに面していないからと言って、これはさすがに酷過ぎる。
いつかやらされるだろうとは思っていたが、どうせならもっと涼しい時期に言ってほしかった。
こうなっているのは分かっていたけど、誰も何も言わないから、そのうち業者が片づけに来るんだろうかとか、安易なことを考えていたのが間違いだった。
とか、まぁ今更思ったところで、どうしようもないのは分かってるんだけど。
「それで? この前の代わりに、俺に行って来いってのか」
「うん、そう。その通り」
粗大ゴミを両側から抱え、邪魔にならない位置へと動かしながら。
俺はまるで悪びれることもなくあっさり返された声音に溜息を吐く。
「この前のは、俺の用のついでだろ。なんでわざわざお前の用の為だけに俺が行かなきゃなんねーんだよ」
「だって俺、明日から旅行行くんだってー」
「知らねぇよ」
いや、旅行に行くと言う話は聞いていたから知ってはいるが。
だからと言って、それを理由にはさせてやらない。
「次に借りたいヤツの催促がすげーんだってさ。つーか今までだって一年待ったんだから、あと半月遅くなったからって別に変らねーと思うんだけどなぁ」
「一年………?」
抱えていたテーブルの端を、思わず落としそうになる。
脱力しかけた手に何とか力を取り戻し、だが思わず半目になるのは仕方のないことだろう。
この男は、通常期限二週間、長期休暇のみ休暇明けでも許可、の規則を一体なんだと思っているのか。
そりゃ俺だって期限を守れないことが無いわけじゃないけど、それにしても一年も放置していたと言うのは酷過ぎる。
「お前な……」
余りのことに絶句した俺は、返す言葉もすぐには出てこない。何か文句を言ってやろうにも、それすら容易には叶わなかった。
翌日。
結局俺は、昼前には学校の図書館の前に立っていた。
頭上に広がる空は青い。だが先日とは違い、強い風に流され、地面に薄っすらと影を落として行く雲の量も多かった。
(暑ィ……)
いつもよりも湿気が多いのか、何もしなくても汗ばむ肌が少し不快だ。
目の前に佇む扉を潜れば、クーラーの涼やかな空気が迎えてくれる。それは十分解っていたけれど、なぜだか入口へと向かう足取りは重かった。
とは言え、今日ここに来た理由は成田の本を返す為で、それをせずに帰るわけにはいかない。何より、俺自身も早く次の本を借りたかった。その為に、わざわざ読みかけだった本を昨夜全て読み終えたのだから。
(……つか、何を迷う必要があるんだよ)
肩から下げた斜めがけの鞄を意識して、自分の目的を再認識すると、俺は溜息を吐きながら図書館のドアを潜った。
「――これ、返却。こっちは三年の成田克海が借りてた分」
エレベーターを降りて、返す本がある時にはいつもそうするように、先にまっすぐカウンターに向かった。
エレベーターの扉が開くと同時に、視線だけはそちらに遣って、何となく確認した先には、
「は、はい。えっと、こっちが成田…君の、だね」
ろくに顔を上げることもなく、声を上擦らせる彼の姿があった。
彼――先日構内のカフェで、妙なことを言ってきた先輩、鈴木サンだ。
それ以前の彼も、微妙に挙動不審そうなところはあったけれど、さすがにここまで酷くはなかった。
「…こ、こっちは……」
「俺のだよ。三年、埼坂智也」
だってそう、彼はいつからか俺の名前を聞かなくても処理してくれるようになっていたし、多少躊躇いがちだったとしても、ちゃんと俺の目を見て話をしてくれていたのだ。例えそれが仕事上にするべき態度――要するに誰にでもすること――だったとしても。
だけど今日はそのどれもが覚束ない。
目なんて、はっきり言って俺がエレベーターを出てきた一瞬にかち合っただけだった。それもわざとらしいまでに、すぐに逸らされてしまったし。
(…何だよ、この反応)
普段なら一瞬で済むはずの処理も、その度に本を落としかけていてははかどるはずもない。
そんな彼の態度に、再び理由の不明瞭な苛立ちを覚えた俺は、
「……鈴木サン」
徐に身を乗り出して、彼の耳元で揶揄うように囁いた。
「司書って、今日何時まで……?」
continue...
by 雪ひろと
- 2008/07/05 (Sat)
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