06...不測の事態
【Side:鈴木孝明】
今日は久々に司書の当番ではない日だった。
いつもならそれでも習慣で図書館へと足を向けてしまう僕だったけれど――。
(麻衣子に会うの、何か気まずいや……)
別に避ける必要なんてないのかもしれないけれど、彼女に会えば必然的に成田君のことを崎坂君にアプローチしてくれた?とか、そういう話になるのは目に見えていた。
今日、僕は休みだけれど麻衣子は司書当番のはずだから。
あえてそこへ出向き、自らの首を絞める必要はないだろう。
(でも……)
講義を終え、そのまま校舎外に出ようとした僕は、ギラギラと照り付ける太陽を見上げて溜め息をついた。
(今、この炎天下の中、外に出たりしたらまた倒れちゃうかも)
それは何だか情けない。
基本的に、僕が当番の日以外にも図書館に出向く理由は純粋にそこが好きだから、というのもあるけれど、太陽の位置が高い時間帯に外に出るのを避けるため、というのもある。
身体が弱いことを自覚している僕は、数年前道端で倒れて以来、極力そういうリスクを冒さないように気をつけているのだ。
しばらく出口のところで逡巡した後、僕は構内にあるカフェへと足を向けた。
カフェの扉を開けると、珍しくお客が誰もいなかった。
そのことに少なからずホッとした後で心地よい冷気を感じることが出来たのは、我ながら何だか情けない話だ。
店員さんである女性以外誰もいない店内を見回すと、僕はなるべく目立たないよう最奥に当たるカウンターの隅っこに腰を下ろした。
基本的に僕は人付き合いが得意なタイプではない。
そんな僕の性格を察してか、ここの店員さんは必要以上に話しかけたりしてこないのを、以前数回来た経験から僕は知っていた。
だから下手にテーブル席に腰掛けるより、こうしてカウンター席に座るほうが、落ち着くことが出来ることも。
とりあえず席に着くと、僕は果汁一〇〇%のオレンジジュースを注文してから読みかけの本を開いた。
厚みはあるけれど、この本自体は今、ベストセラーにも入っているミステリー作家の最新作で、正直すごく読みやすい。
たまにはこういうテンポよく読める作品を読むのも悪くない。
ページを繰るに従って本の世界にどっぷりと浸かっていた僕は、しかし新たな来客が起こした扉の開閉の気配でふと現実の世界に引き戻された。
いつもならそんなことないはずなのにおかしいな、と思いつつ、それでもわざわざ振り返って背後の出入り口を確認する気にもなれなくて……。
僕は本に視線を落としたまま、それでも神経を店内の様子に集中させた。
(何でドキドキしてるんだろ……)
別に僕以外の誰かが入店してきたってその人に絡まれたりしない限りここまで動悸が激しくなることなんてないはずだ。
背後に何となく落ち着かない気配を感じながら、僕は手のひらが汗で湿ってくるのを感じていた。
……と。
「崎坂くーん、今日もアイスコーヒーでいいのー?」
目の前の店員さんが僕の背後に向かってそう告げた。
(さ、崎、坂……君?)
脳が、ゆっくりとその名を認識したと同時に、びくりと肩が震えたのが分かった。
その振動で、手の下の本を叩き落とす格好になってしまい、不幸の連鎖と言うべきか、横に置いていた筆箱なども巻き込んで落下してしまった。
思いのほか派手な音をたてて散らばったそれらに、僕の心臓は追い討ちを掛けられて、早鐘を打つ。
(ど、どうしよう……!)
とりあえず条件反射でスツールから降り、散らばったものを掻き集めてみたものの――。
愛用のシャーペンが背後の席へと転がっていくのを止めることが出来なかったのは大誤算だった。
ギュッと拳を握って自分に喝を入れると、僕はなるべく不自然にならないよう、ゆっくりと背後を振り返った。
(出来れば人違いでありますように!)
そう祈りながら見つめた先には願いも虚しく大好きな崎坂君がいて――。
「あ、さ、崎坂くん」
自分でも情けないぐらい声が上ずっているのが分かった。
それでも努めて平常心を装って彼に近づくと、僕は「ごめんね」と言って彼の足元にしゃがもうとした。
と、無言で僕のシャーペンを拾い上げてくれた彼が、それをこちらに差し出して
「……珍しいですね。こんなトコで会うなんて」
指の間に紫煙を燻らせながらそう言った。
促されるままに彼からシャーペンを受け取った僕は、その瞬間指先にほんの少し崎坂くんの温もりを感じて、心臓が一気に跳ね上がる。
「……あ、きょ、今日は司書の仕事お休みの日だから……それで……」
避暑のためにここへ来ていたのだと告げたかったけれど、うまく言葉が出てこなった。
図書館で、本を介してもののやり取りなんて何度もしたことがあるんだけれど。
でも、いつもはどんなに距離が近く感じられても、カウンターという隔たりがあるのだ。
今日はそれすらない――。
加えて、いつもは微かにしか感じられない彼のタバコの匂いも濃厚に漂ってくる。
そのことに気付いてしまった途端、自分でもはっきりと頬が上気するのを感じた。
それを誤魔化すために話題を変えようと慌てた僕は、
「あ、あの、突然なんだけど……崎坂君のお友達に成田君っていたよね? か、彼ってさ、その、好きな人とか……いたりするのかな?」
しばしの逡巡の後そう告げると、崎坂君の表情が一気に不機嫌になったのが分かった。
手にしていたタバコを灰皿に押し付ける仕草からもそれが感じられて――。
その変化に、僕は戸惑ってしまう。
「……何? アンタもアイツに気があるわけ?」
続いて紡がれたセリフに、僕は一瞬きょとんとした。
「……え?」
ゆっくりと彼のその言葉を咀嚼した僕は、その意味に気付いて愕然とする。
「ま、まさか! 僕が好きなのは崎坂君なのに!」
どうしても誤解をされたくなくて、思わずそう叫んでしまってから、僕は己の馬鹿さ加減にその場から消えたくなった。
(な、何でこのタイミングでそんな……っ)
恥ずかしさに慌てて立ち去ろうとしたら、崎坂君に腕を掴まれた。
「それが本当なら……証明してみせろよ」
continue...
by 鷹槻れん
- 2008/04/06 (Sun)
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