04...要求
【Side:鈴木孝明】
「ねぇねぇ孝明、さっき話してたのって、成田くんだよね?」
用を済ませた二人が去っていくのを見送ってから、そのまましばらく呆然と突っ立っていると、突如そんな声を掛けられた。
場所が図書館ということもあり、そんなに大きな声で話し掛けられたわけじゃなかったけれど、崎坂くんに掛けられた言葉が嬉しくてぼんやりしていた僕は、その声に驚いて思わずビクッとなった。
「何ビクついてんのよ?」
僕の過剰な反応に、逆に驚いた顔をする女性。
Tシャツにジーンズというボーイッシュな格好のよく似合う彼女は、高校三年のとき、はからずも隣の席になったのが縁で話をするようになった――上に大学まで同じところを選んでしまった――数少ない異性の友人で、名を篠原麻衣子という。
(そういえば麻衣子、今日はここで勉強するって言ってたっけ……)
彼女の片手に抱えられたノートや筆記具を見て、ぼんやりとそんなことを思う。
「あ、その、えっと……」
明らかに態度が変だと思われたんだろう。
オロオロと僕が言葉を探している最中に、カウンター越しにヌッと伸ばされてきた彼女の手が、僕の前髪をかき上げるようにして額に触れた。
「熱はないみたいね」
そう言ってホッとしたように手を引く。
「あ、ご、ごめん」
「だから、何で謝るのよ?」
何でもハキハキとこなす彼女は、僕とは正反対のタイプだ。
何かあるたびに結論を決めかねては迷う僕を、強引に引っ張っては導いてくれた麻衣子。そんな彼女とは、実は一時期恋人同士だったこともある。
僕の優柔不断さに愛想を尽かされる形で別れた僕らだったから、今みたいに麻衣子にいきなり話し掛けられると条件反射で謝ってしまう。
「……っ」
口を開けばまた謝罪の言葉が出てしまいそうで、僕は思わず彼女から視線を逸らした。
「……ね、それはそうとさっきの質問の答え、もらってないんだけどな……?」
うつむいた僕を気遣うように口調を柔らかくすると、麻衣子がそう言って僕の様子を窺う。
大学一年の前期から、大学三年の前期まで付き合っていた彼女には、僕の扱い方がよく分かっているらしい。
柔らかく問い掛けられると心にゆとりが生まれるのはいつものことで――。
僕からの言葉を引き出したいとき、麻衣子は必ずこんな風に静かな声音で語りかけてくる。
逆にこうさせたいと彼女が思っている内容の場合は――例えそれが質問形式の言葉であろうとも――強く決め付けるような口調で話すのが常だった。
そうされると僕が嫌と言えないのを彼女は長い付き合いから学んだんだろう。
「……さっきのって……崎坂くんと一緒に来てた彼のこと?」
「……? もう一人の子の名前は知らないけど……二人組だったから孝明がそう思うんならそうなんじゃないかしら?」
お互い片方の人の名前はよく知っているけれど、連れのほうには余り詳しくないらしい。
でも、そういえば崎坂くんが彼に「成田」って呼びかけていたのを僕は聞いたんだ。
「確か、崎坂くん、彼に成田って呼びかけてたと思う……」
「ンもぉ! 先にそれを言いなさいよぉ~。人違いしちゃったかと思って焦ったじゃない!」
途端、拗ねたように唇を突き出して見せた彼女を見て、僕は正直当惑した。
「……人違い、しちゃマズイの?」
思わずそう問い掛けてから、彼女の赤らんだ頬を見てしまった、と思った。
「……好きな人、見間違えたらバツが悪いでしょ」
しかし、やっぱりハッキリしている彼女らしく、存外アッサリ自分の気持ちを告白してから
「ねぇ、孝明。私、彼にアタックしても……」
そこまで言って珍しく言い淀んだ。
「……あ、だ、大丈夫だよ。もう僕だって気持ちの整理は付いてるから。……その、変な言い方かも知れないけど……応援するよ」
気持ちの整理、というより、僕自身――同性だけど――別の人が気になっているという点で言えば彼女と一緒だ。
もちろん、別れた当初は麻衣子のことが忘れられなくて落ち込んでいたりもしたけれど、今はそんな苦しさは過去のことだと言い切れる。
(そういえばそれが原因で倒れたこともあったっけ……)
あれは……確か今日よりもずっと暑い日だった。
元々身体が強いほうじゃない僕は、麻衣子にフラれたショックと連日の暑さから、食事が殆ど喉を通らなくなっていた。
夏バテなのか、精神的なものなのか、最早境が分からなくなり始めたころ、僕は街中で倒れて救急車で運ばれたんだ。
そのとき、僕と同い年ぐらいの青年が付き添ってくれていたらしいんだけど、家族が病院に到着したときには既にその人の姿はなかったらしい。
ただ、僕の脳裏には何となく「大丈夫か?」とか呼びかけてくれていた彼の声が残っていて。
それが崎坂くんの声に似ているような気がする、だなんて思うようになったのは、多分そうだったらいいな、なんて思っているせいなんだろう。
そんなこともあったぐらいだから麻衣子の言葉が全く気にならないわけではなかったけれど、自分にも別に好きな人が出来た以上、彼女にだけそれは酷いとは言えないし。
それに、片思いの辛さや切なさは理解出来ているつもりだ。
だから麻衣子を応援したいと思ったのは嘘じゃない。
嘘じゃないけど――。
「じゃあ、色々手助けしてくれるよね? その、崎坂くんだっけ? 成田くんのお友達にも協力してもらったりして……」
彼女の強引な性格を忘れていたのは僕の失敗だった――。
continue...
by 鷹槻れん
- 2008/02/25 (Mon)
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