03...記憶
【Side:崎坂智也】
「ンで、智也クンはなんでああ言うことを知ってたのよ」
図書館を後にした俺と成田は、その足で近くのファミレスに向かった。
日頃から然程食べる方でもない俺は、アメリカンクラブサンドとコーヒーを、成田は見た目の割りに食う方で、オムライスの大盛をセットで注文。しかも食後にはチョコレートパフェまで頼んでいた。
まぁ全額彼の奢りなので、何を頼もうが俺には支障は無いが。
「…ああいうこと?」
「あの図書館員さんが、身体弱いとかなんとかだよ。…あ、知り合いか?」
先に食べ終えた俺がコーヒーを傾けていると、ややして空にした皿を中央に寄せながら、彼が思い出したように言った。
「いや。特に」
「特にって。それにしちゃ親しそうだったっつーか」
「…まぁ俺、図書館にはそこそこ行くからな」
自分で訊いて来たくせに、話の半ばで店員を呼び、早々にもデザートの催促をする彼に、俺はいつのもことながら溜息を吐く。
とは言え、片手間でも双方の内容をしっかり把握しているのが彼で、
「あー、顔見知り。常連客と店員、みたいな」
その器用さには時折感心すらしてしまいそうになる。
こう言う部分を授業に向ければ単位の心配など不要だろうにと、本気で思うことも多々有るが、そうしないのが成田と言う男でもあった。
要するに気侭な性格なわけだ。ある意味羨ましいほどに。
「何回か見たことあるんだよ、あの人が時々マスクしてたの。最近はそんな見ねーけど」
「マスク…花粉症か?」
「いや、季節関係なかった気がする。それに…」
思い出しながらカップを一度ソーサーに戻すと、丁度店員が成田のパフェを持ってきた。
彼は笑顔でそれを受け取ると、早速手にしたスプーンで、生クリームをフルーツごと掬い上げる。
「一度駅前で倒れたのを拾ったことがある」
「――え、マジで?」
が、流石に俺の言葉に驚いたのか、その手が一瞬ぴたりと止まる。
遅れて視線を俺へと戻し、
「拾ったって…」
「向こうが目を覚ます前に帰ったから、あっちは知らねーと思うけどな」
「…はー、そんなことあったの」
若干しみじみと言ってから、ゆっくりスプーンの先を口に入れる。
俺も再びカップを手にして、残り少ないコーヒーを静かに飲み干した。
――そう、あれは今日よりもずっと熱い夏の日だった。
人も疎らな平日の昼間。たまたま最寄り駅から出てきた俺は、前方で一人の男の頭がふらついているのを目に止めた。
まさか倒れる寸前だとは思わず、それでも目が離せないでいると、彼は覚束無い足取りで近場の街路樹の下へと向かい、
(…立ち眩みでもしたか)
日陰に入ったかと思うと、そのままずるずるとその場に座り込んでしまったのだ。
ギリギリ届いた指先が、樹の表皮を撫でながら滑り落ち、やがてぴくりとも動かなくなる。
「…嘘だろ」
俺は背中に感じたひやりとした心地に押されるよう、彼へと急いで近づいた。
そんな時に限って、周囲は人波が去ったばかりで、それに気付いた者は誰もいない。
「おい、大丈夫かアンタ――…」
俺は樹に縋って崩れ落ちたまま、微動だにしない男の肩に触れた。
俯いた顔を覗き込むが、蒼白となった顔色が目に入るだけで、瞼が震えることすらない。
幾度か声を掛け、肩を軽く叩いては見たものの、その様子に変化は無く、安易に身体を揺することも躊躇われ、俺は一先ず携帯を取り出した。救急車を呼ぶ手配をする為に。
そうして、一応には病院まで付き添いはしたが、その後講義が控えていたこともあり、彼の持ち物から身内に連絡が取れたとのことで、俺は早々にも病院を離れたのだった。
それこそ、貧血と熱射病が重なったらしいと診断された、彼が目を覚ますより前に。
ちなみに彼の家族とも顔は合わせていない。名乗ることもしていない。
色々と礼を言われたり、単にそう言うのが面倒だったと言うこともある。
だけど、どうも彼に知られたくないような気がしたのも確かだった。
(…くそ、思い出した)
救急車を待っている間、足元に落ちていた眼鏡に気付いた。
彼が落としたらしいのは明白で、それも彼の手荷物と一緒に病室に置いて来た。
見たことのあるような眼鏡。
どこか繊細で儚いような印象を与える寝顔。
似ていると意識してからは、その顔すらまともに直視できなかった。
そう、彼は俺の中に深い傷を残した、あの男にとてもよく似た空気を持っていて――。
だからもう二度と係わりたくないと思い、極力自分の痕跡は残さなかった。
出来れば記憶からも、全て消し去るくらいの心積もりで。
…まぁ、それも彼が同じ大学の人間だと分かってから――彼が司書として図書館に常駐するようになってから――は、総じて無駄な努力だったと言わざるを得ないんだけど。
continue...
by 雪ひろと
- 2008/02/04 (Mon)
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