02...片思い
【Side:鈴木孝明】
高校三年のとき、僕は留年をした。
別に素行が悪かった、とかそういうんじゃなくて……ただ単に入院して出席日数が足りなくなってしまっただけ。
家族も友達も、「孝明が悪いんじゃないよ」と慰めてくれたけれど……いくらそんな風に言われたって今まで後輩だと思っていた人たちの中に放り込まれることは、僕の人生に少なからず暗い影を落とした。
もともとそれ程はじけた性格でもなかった僕は、教室内では自然クラスメイトと距離を置くようになっていった。
「――鈴木君はいつ見ても一人で本を読んでるのね。もっとみんなの輪に入っていけばいいのに」
当時たまたま隣の席になった女子からそんな風に言われたのをよく覚えている。
そう。思えばあのときから僕は本に逃げるようになっていたんだ。
僕がこの大学を選んだ一番の理由は、ここが、学校が所有するにしては規模の大きいとても立派な図書館を有していたことにある。
元々閉架式図書館――利用者は目録だけを頼りに図書館員に書庫から目当ての資料を出してきてもらう――の体裁を取っていたここは、一般的に見慣れた街の開架式図書館なんかとは少し違った造りをしている。
まず、館内の入り口が一階にはない。
利用者は建物に入ると、一階と七階にしか停まらない設定のエレベーターで一気に最上階まで上がる。
エレベーターを降りると真正面がカウンターで、ここを利用するには僕ら司書の顔を見ずにはいられない造りになっていた。
エントランス的役割も担っている七階は、フロア一面が大きな窓に囲まれていて、とても明るい。
このフロアは、資料の閲覧や学習に最適な明るい照明の下、沢山の机が配置されている代わりに本棚がひとつもない。
逆に六階以下は全フロア書庫になっているといった構造だ。
実際、館内閲覧のみに限られているものの、近隣住民にも開放されているこの図書館は、OB・OGならば簡単な手続き一つで資料を借り出すことも可能だ。
大学に入ってすぐ、図書館司書の資格を取るため図書館学――通称「ト学」――を専攻したのだって、この図書館に携わってみたいと思ったからだ。
熱意が通じて司書の資格が取れたおよそ一年半前(三年のとき)、ここの館員に採用してもらった僕だったが、ひとつだけ困ったことがあった。
それは僕にとって、ある意味致命的ともいえる欠陥で――。
(何で僕はこんなに体調崩しやすいかな……)
現在この図書館には館長――ト学の教授――を含めて十三人の司書がいる。
コストを抑えるため、その大半が僕と同じト学関係の学生なんだけれど……そういう中途半端さがいけないのか、ちゃんとしたレファレンスサービス――利用案内――が出来る人間が極端に少ない。正直に言ってしまうと、館内の資料をほぼ正確に把握し、利用者に的確な案内をすることが出来るのは、館長と僕ぐらいしか居ないのだ。
自然、僕は書庫よりもカウンターに立たされる割合が増え、結果、不特定多数の人たちと接する機会が増えてしまった。
病気をもらいやすいこの体質は、そういう事情がある僕にとって本当に困りものなのだ。
少し前までの僕ならば、人目をはばからずマスクで予防策を講じることが出来ていたんだけれど……。
今の僕は、ある理由からそんな恥ずかしい格好は絶対にしたくないと思うわけで――。
「……でさぁ~、どの辺に重点を置きゃあいいのかが分かんないわけよ」
賑やかな声と同時に二人の青年がエレベーターから降りてくる。
どちらも明るさこそ異なるものの、髪の毛を茶系に染めていて、身長が一八〇センチを優に越える長身の持ち主。眼鏡に黒髪、一七〇センチ代の僕とは大違いの風貌だ。
(崎坂くん……)
先に降りて来た子の名前は知らないけれど、その背後に一級下の、顔見知りの姿を見掛けて思わず心臓が跳ね上がる。
「成田、声……」
扉が開いたと同時に館内に響いた連れの声を慮ったのか、抑えた調子で友達をたしなめた崎坂くんの声が、胸の締め付けを伴いつつ耳朶を打った。
どんなに離れていても、彼――崎坂智成――の声は僕の耳を震わせる。
これはやっぱり僕が彼のことを気にしている証拠だろうか。
今まで二十三年間生きてきて、正直同性相手にこんな感情を抱いたのは初めてだった。
そう。誓ってもいい。僕の性癖は、本来至ってノーマルなはずなんだ。
だから、最初のうちは彼がここへやってくるたびに息苦しいくらい動悸がする理由が分からず戸惑った。実際崎坂くんの、僕とは真逆の雰囲気に気圧されているだけだと信じていた時期もあったぐらいだ。
でも、ある瞬間にこれは恋心以外の何ものでもないと気付いてしまって――。
余りに尋常ならざる事態に、僕は未だ思いっきり悩んでいる。
そんなこんなで想い人の姿を視認した途端、理屈では説明の出来ない気恥ずかしさが込み上げてきて、僕は思わずうつむいてしまった。
それでもエントランスに入ってきた彼らのことが気になって仕方なかった僕は、自然二人の声に神経を集中させる。
視線は手元に落としているけれど、いっかな作業に集中出来ない僕は、今日入荷したばかりの新着資料を意味もなくいじり回していた。こんな姿、館長に見つかったら大目玉だ。
それでもやっぱり声だけで彼らの様子を探るのには限界があって……。
僕は誘惑に負けてほんの一瞬だけ二人のほうを窺い見た。
「わりぃー」
途端、口調とは裏腹に悪びれた様子もなくそう告げた成田なる人物と目が合ってしまう。
不測の事態に驚き、慌てて視線を逸らした僕を見て、彼がニッと笑った。
「そーだ、崎坂。今気付いたんだけどさ、図書館員さんに見立ててもらったほうが早いんじゃね?」
そうすればさっきの奢りの話もチャラになるし。
そんな声が聞こえてきては、さすがに顔を上げないわけにはいかない。
恐る恐る二人のほうを見ると、満面の笑みを浮かべた友人に、崎坂くんが無言のまま溜め息をついている姿が飛び込んできた。
そんな風に不機嫌そうな顔をしていても、やっぱり彼は思わず見惚れてしまうぐらいカッコいい。
「――そういう資料は……三階の、えっとこの辺りに集中してると思うんで……そこから見繕ったらいいと思います」
こんな感じで司書と利用者としての接点しかない崎坂くんが、友達の付き添いとはいえすぐ傍にいることに、僕は必要以上にドギマギしてしまう。
そんな心情を悟られないよう、努めてゆっくりした口調で館内の案内図を指し示しながら、僕は成田くんの求めに見合いそうな資料が集めてある書架を教えてあげた。
成田くんと僕がやり取りをしている間、崎坂くんは一言も発さなかった。けれど視線だけは十分過ぎるぐらい感じていて、僕は耳が赤くなってやしないかと、そればかりが気になった。
「有難う」
そんな僕に礼の言葉を述べ、書庫に向かうべくきびすを返そうとした刹那、成田くんが盛大なくしゃみをした。
「……失礼」
瞬間、手で口元を覆ってくれたけれど、一歩遅かったらしい。
彼の真ん前にいた僕の眼鏡は、見事に曇ってしまっていた。急に奪われた視界に、
(うわ……)
思わず眉をしかめそうになって……それでも一応利用者――と何より崎坂くん――の前だと気付いて、僕は何とか営業用スマイルを取り繕った。
そんな僕に、
「あんた、身体あんまし強くないんだろ? カウンターにいるときぐらいマスク付けるとかしたらどうだよ?」
意外にも、彼の背後に今まで無言で控えていた崎坂くんからそんな指摘を受けてしまった。
「それと成田、お前はもちっと周りに配慮しろ」
(僕が体調を崩しやすいの、知っててくれたんだ……)
余りに意外で嬉しい発見に、思わず彼を見詰めたら不機嫌そうな顔で睨まれた。
その眼光に射すくめられて、僕は結局何も言えないまま二人を見送る羽目になる。
カウンターに一人取り残された僕は、今日も彼に何も言えなかった自分を、ほとほと情けなく思った――。
continue...
by 鷹槻れん
- 2008/01/21 (Mon)
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