01...prologue
【Side:崎坂智也】
高校生の時、付き合っていた相手とは、俺が高校を卒業するまでほぼ丸3年、何事もなく穏やかな付き合い方が出来ていた――と、俺はいまでも思っている。
相手は俺が中3の時から家庭教師をしてくれていた4つ上の大学生で、笑顔の優しい、どちらかといえば真面目な男だった。
(……男)
俺は学校まで続く坂道を歩きながら、自嘲めいた笑みを浮かべた。
自分の性癖を自覚したのは、案外早かった。
その割りに、俺は色々と迷うことなく道を歩いて来られた方だと思う。
そしてそれが、彼に出会うことができたからだと言うことも、ちゃんと解っている。
最初に惚れたのは、どっちだったのかは分からない。
だけど、いつの間にか空気が色づいていて、意味もなく視線が絡むことが多くなれば、互いの心中を察することもそう難しいことじゃなかった。
初めて好きだと口にしたのは、高校受験が終わり、無事志望校に合格してから。
基本的に彼はその為に俺の家庭教師をしてくれていたのだから、俺もそこまでは我慢した。
そうして始まった関係は、思いの外心地良く、年若く浅はかだった俺は、それがいつまでも続くものだと信じて疑わなかった。
けれど、同じように大学受験を終え、やはり無事志望校に合格したことが判明した、その日の夜。
彼はおめでとうの言葉と共に、さようならと俺に言い渡したのだった。
(…お人好しだったからな……)
後から知った話によると、彼は親の会社の為に、結婚を余儀なくされたということだったが、どれほど必要に迫られたとは言え、子供もすぐに産まれたと聞き、俺が穏やかでいられるはずもない。
俺の両親なんかは、俺と彼の付き合いも知らなかったし、めでたいと祝うばかりで、何かにつけ良い先生だったとよく飯の席でも話題に上げていた。
二つ下の妹も、彼には憧れていたらしく、いつまでも俺に、たまには連絡を取れとしつこくつきまとっていた。
そんな環境に堪え切れなくなり、俺は自宅から通える志望校――それも彼と同じ大学――への入学を取り止め、一年の予備校生活を経て、現在の大学に進学した。
それがいまから、約二年前の話。
(暑ィな……)
眩しさに顔を顰めながら、ふと見上げた空は、雲ひとつ無い快晴だ。
7月に入り、ますます気温を増した外気には意識しなくても溜息が漏れる。
辿り着いた校門を潜り、頭上より下ろした視線を向けた先には、大学の規模にしては些か立派過ぎるとも言える図書館がある。
テスト期間に入ったばかりのこの時期は、図書館も普段より人で溢れているが、俺は本を借りて帰るだけなので問題はない。
「あ、おい。崎坂。崎坂智也」
目を開けているのも厭うような暑さに、伏目がちに歩いていると、不意にその背後より声がかかった。
俺は足を止め、僅かにだけ振り返る。
「…成田」
同様、口を利くのも億劫だったが、ひとまず短く答えると、相手の顔へと視線を投げる。
そこに立っていたのは、同じ学部、同じ科の成田克海。
一応学科内では親しいと言える友人の一人だ。
彼は然程もなかった距離を詰め、俺の前に足を止めると、
「図書館行くんだろ。俺も行くから、一緒に行こうぜ」
「……まぁ別に」
「ほら、俺落としてる単位の。何かいい本あったら、教えて貰おうと思って」
お前が『優』で受かったアレだよ。と、続けながら小さく肩を竦めた。
アレってどれだ言いたいところだが、なまじ親しいだけあって見当はすぐにつく。
「いいけど何か奢れよ」
「ヘーヘー、コーヒー位なら奢りますよ。それとも昼飯をご所望か?」
相変わらず、総じて軽い調子の男に、俺は一瞥を残して先に歩き出した。
すると彼もそれに続く。
「…じゃあ昼飯」
ややして、平坦にそう答えると、
「えぇっ、マジかよ」
彼は一瞬歩みを止めて声を上げた。
そのくせ、表情はそこまで大げさなものでもない。
「自分で言ったんだろ」
既に図書館は目の前で、俺は彼につきあって歩調を緩めることもなく、あっさり入口のドアを開けた。
遅れてそれに続く彼へと、やはり抑揚の少ない平坦な声音で、そう短く告げながら。
continue...
by 雪ひろと
- 2008/01/18 (Fri)
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